戦後、何も無かった時代。
当時の子供達は、学校も行けず、学べず、食も満足に取れず、
遊びにふける余裕もなく。
その時代に、その当時の子供に、「自由」と「権利」など存在しませんでした。
自由を叫べば「餓死」し、「権利」を叫べば「わがまま」と言われた時代。
そんな子供たちは時と共に成長し、大人になり、親となり、
自分の子達には、そんな「ひもじい暮らし」をさせまいと、
必死で、働き、高度経済成長の支え、経済大国「日本」を築き上げ、
自分の子供達に、教育の自由を与え、余りある食糧を与え、許す限りの遊びを与え、
自らが子供の頃に持てなかった、「自由」と「権利」を子供達に与え、
その「自由」と「権利」に、子供の頃に持てなかった「自らの夢」を重ねた。
そして、
その「自由」と「権利」を与えられた子供達は、
与えられたその「自由」と「権利」を存分に発揮し、
親と違う場所に家を建て、親と離れて暮らし、親との関わりを絶ち、
自らの「旦那」「奥さん」「子供」、のみの「核家族」という、
ストレスのない暮らしまでも手に入れるという、
「自由」と「権利」まで手に入れた。
この松江市でも、この10年間。
数件しかなかった、「サーパス」の様な分譲マンションは、
今や、数えきれないほど立ち並ぶ様になった。
あのビルの部屋の数だけ、この松江市には、
一軒家に取り残された「戦後の人」がいる。
仕事柄、美保関町の家々にお邪魔する事が、時々ある。
ほとんどの家が、
おじいいちゃんや、おばあちゃんが、お世辞にも綺麗ではない家に一人で住んでいる。
俺は、自分のおじいちゃん、おばあちゃんの様に話しかける。
「おばあちゃん、一人~?」と聞くと、ほとんどこういう答えが返ってくる。
「息子は、嫁と孫とで、松江に暮らしちょーますがあ」
みんな、笑顔の素敵な、おじいちゃんとおばあちゃんだ。
「自由」と「権利」を謳歌し、何の為の「自由」か、何の為の「権利」か、
だれが、その「自由」と「権利」を与えてくれたかも、
分からない俺らは。
自分を愛してくれた人さえ、自分を育ててくれた人さえ、自分の愛する人の親さえ、
「自らの人生」 「私達の人生」
と叫んで、簡単に天秤にかけてしまう。
そして、こう叫べば、全てが許され、全てが正当化される時代です。
こう偉そうに書いている自分も、親元を離れ、奥さんと二人で、
今現在、ストレスのない暮らしをしています。
だから、何も偉そうに言える事はありません。
俺は、旦那の実家に奥さんが暮らす事を当たり前だと思わない。
奥さんの実家だって、寂しく残される奥さんの両親がいる。
そして、
奥さんと自らの親は。
結婚上、形の上では、「親」と「子」になるが、血は繋っていない。
血の繋っていない「赤の他人」が、一つ屋根の下に暮らす事は、並大抵の事じゃない。
だから、それを、旦那さんが
「嫁にもらったんだから、旦那の実家にいるのは当然」
だと思うのも、俺は当然、違うと思ってるし、そんな考えは大嫌いだ。
そして、サーパスやマンションや一戸建てを買ったであろう、ほとんど人が、
自らの親を決して軽んじて扱い、安易に、二人だけの暮らし、
「核家族」というものを選択した事ではない事は十二分に知っている。
誰しもに、軽んじて扱える親はいない。
かといって、
旦那、奥さん両方の親も幸せで、奥さんも幸せで、子供も幸せで、
みんなが笑顔で暮らせる、
「完全なる法則」を俺は知らない。何も提示出来ない。
けども、ほんの少し思う事は。ほんの少し考える事は。
みんなが、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ優しくなれれば、
たぶん、ほんの少しが、大きな優しさを生むと思うのです。
「私たちが幸せになる」
確かに大事な事です。
今のご時世に「同居」が「当然」ではない事は十二分に理解しています。
だから、「親の為に同居しよう」とはここで言うつもりもありません。
けども、これを読んでくれてる人で、そういう心当たりのある人がいたら、
ほんの少しだけ、離れて暮らしている、
自分の親、愛する人の親に、何かしてみてはいかがでしょうか。
みんなのほんの少しの優しさで、大きな優しさが生まれれば、良いなと思います。
by naotsugu_notsu
| 2008-07-28 20:44