今回、急遽、20年ぶりに北海道に行く事になったのは、
父方のおばあちゃんの調子が良くなかったから。
言葉は悪いが、正直、「生きているうちに、もう一度会いたい」というのが、
本当の理由だった。
10数年ぶりに会った、おばあちゃんは。
その時には気付かなかったが、
あれだけ元気で、あれだけ笑顔で、あれだけオシャレだったのに、
見る影もなく、昔と、だいぶ、変わっていた。
会った時は、「昔の姿」なぞ思い出す事もなく、
「昔からこんなだったよな」って思っていた記憶も、
会って数日経った今、なぜか、不思議に。
十年前のおばあちゃんの姿を鮮明に思い出してきた。
人間の記憶っていい加減だな、と改めて気付く。
おばあちゃんは、何もない老人ホームの、小さな、小さな部屋にぽつんと座り。
そこが、まるで、「刑務所」と言われれば、そうなんだろうな、と思うほどの場所に、
一人いた。
たぶん、老人ホームなんてそんなモンなんだろうな、とも思う。
老人ホームに行くのも、当然初めてじゃない。何度も行った事がある。
けど、今、この年齢で、訪れる老人ホームは、
あまりにも酷く、あまりも優しさのない場所だった。
そこで働く「職員」の方に優しさがないのではない。
俺には、老人ホームで働いている友達もたくさんいるし、
その友達みんな、お年寄りの方々に敬意を表し、愛情を持って接して、働いている。
ただ、
先日のブログで、書いた事と本当に繋がったような気がした。
「面倒見切れない」 「介護が出来ない」 「老人同士でいた方が幸せ」
俺みたいに、何も背負ってないガキんちょには、分からない、
さまざまな理由で、さまざまな想いで、
老人ホームに入れられてるのかも知れないし、自ら入っているのでしょう。
けども、
俺には「優しさのない場所」にしか写らない。
育ててくれた人を、親を。
赤ちゃんの頃から、食べる物を与え続けてくれた人を、
必死で働いて、学校に行かせてくれて、夢と希望のチャンスを広げてくれた人を。
これが、この場所が、この仕打ちが、
人生のクライマックスであるならば、
なぜに人は、生きてくのか、なぜに人は、年老いて行くのか、人の愛とは何なのか。
俺にはまったく分からない。
あの箱の中で、一人さみしく生きていく事が、人生の終着駅だと言うのならば、
あまりにも暴論ではあるが、
「人生の中で一番、幸せになって、眠るように死ぬ薬」
を なぜ誰も開発しないのか?、とさえ思う。
この世の中には、
色んな人がいて、色んな価値観があって、色々な生き方があって、色んな生き方が出来る。
そんな「色んな」を作ったのは、くれたのは、
今の老人ホームに入っている世代の人達です。
今の社会で働く人達、50代、40代、自らの親の世代の人々や。
そして、
俺らは。
相変わらず。
与えられた自由の大きさと、責任の重さと、だれが与えてくれた自由かすらも忘れ。
日々を、「自らの幸せ」の為に必死で歩んでます。
俺には、いまだに答えは見つからない。
誰もが幸せになれる 「幸せの法則」を。
それはないのかもしれないし、在るのかもしれない。
けど、探さなきゃ分からない。
いつでも自分で答えを探して、納得してきた。
だから、俺は諦めない。
みんなが幸せになる法則を探す事を。
たぶん、ほんの少しの事。
たぶん、ほんの少しの優しさ。
けど、
ほんの少しが難しい。
by naotsugu_notsu
| 2008-08-07 06:38