エジプトのピラミッド及び太陽信仰。
トルコのカッパドキアのキリスト教、ブルーモスクに代表されるイスラム仏教。
イタリアやバチカン市国やブラジルのキリスト教、カトリック教。
高野山に見る仏教。
伊勢神宮、出雲大社に見る神道。
日本各地で見る「新興宗教」。
様々な国で、「宗教の力」 いや 「信仰の力」 を見た時。感じた時。
まず、思うのは、「人間の本質」とは、「本義」とは、「生きる事」とは、
「何かに救いを求め、何かを真摯に信仰する事」
なのではないか?とすら思ってしまう。
人類は、太古の昔から、自然を恐れ、自然を信仰し、神を恐れ、神を信仰してきた。
「人類の歴史」とは、「争いの歴史」そして「信仰の歴史」と言っても良いと思う。
太古の昔からある「信仰心」は、
時代が、環境が、科学が、人間の形が、どれだけ変わっても、
何千年と変わらず「存在」している。
そう考えると、「人類の本質」の中に、「食欲」「性欲」「睡眠欲」の3大欲の様に、
「信仰」も入っているのだと思う。
そして、残念な事に、「人を殺す事」も、「人類の本質」の中に入っている。
「本質」で無ければ、太古の昔から「人と人が殺し合う」という現実が続く訳はない。
状況でも、環境でも、時代でもなく、「人は人を殺し合う」
日本人にとって、「強い信仰心」は、「洗脳」に近いイメージで捉えられる。
しかし、「世界のスタンダード」、「歴史のスタンダード」からすれば、
「強い信仰心」を持たない日本人の方が、遥かに異質なのだと思う。
「自分達こそ”スタンダード”」
この考えは、いつか、「多容性」を失い、人を理解する能力を低下させる。
日本がおかれる状況、自分がおかれる状況を、冷静に、現実的に把握して、
「自らを意識」せねば、それはいつか、独善性を生む。
多様性が世界を動かし、多容性が世界を救う。
多様性が自らを動かし、多容性が自らを救う。
by naotsugu_notsu
| 2009-01-08 18:36