「教育」 というタイトルをつけると、少し「堅く」感じてしまう?
俺が、今ここで言いたい事は、「教育」は「勉強」のみの事じゃありません。
「人間の教育」
今、視点を大きく、世界に目を向けると、
「戦争」 「紛争」 「宗教間の争い」 「貧困」 「搾取」
「人類同士の哀しい争いの原因」は全て
「歪んだ教育」に起因します。
それを俺は世界の様々な国でこの目で見て来ました。
ブラジルのファベーラといスラム街で、まともな衣食住も無く、
犯罪の限りを尽く尽くす子供。
その当時、俺の手にあったのは、その子供達を救う為の「愛」ではなく、
「ポケットの中に持ってろ」と、現地の人に言われた「護身用のナイフ」でした。
エジプトやトルコの田舎の貧しい地域では観光客からお金を貰う為に
親から手や足を切り落とされた物乞いの子供達も見ました。
教育が無い→大人になって職に就けない→より貧しくさせる→教育すら受けられない。
そんな 「負のサイクル」 が世界には当然の様に存在します。
全ては、大きな意味での「教育」なんです。
人間は、「教育」 や 「環境」によって何色にも染まります。
人間は、「全ての環境」を自らが創り出せるワケじゃありません。
育った「環境と教育」で大きくその「可能性」と「未来」は違います。
愛情を、与えぬでもなく、与えすぎず。
「花」も「水」をやりすぎると枯れてしまう。
「教育」 は 「勉強」を指す言葉だけじゃなく、
「人間が生き抜く為」に、もっとも大切な事なんじゃないかと思います。
俺が日々、感謝という気持ちを忘れずに、幸せに生きれるのは、
回りにいるみんなとの「環境」があるから。
これも俺は、感謝を学ぶ「最高な人生教育の環境」だと思っています。
子供は、未来の宝。希望。光。
その眼の先には、濁った欲望も、汚れたモノは見えません。
だからこそ、子供達には、少しでも、今のまま、
その眼に「失望」や「諦め」や「絶望」ではなく、
「夢」や「希望」や「楽しい未来」への可能性を残してあげたいな、と思います。
by naotsugu_notsu
| 2009-01-13 20:14